月記2023.3

入籍をした。20歳の時から8年半とちょっと、あっという間だったけれどいつか結婚できたらいいなと思っていたことがついに実現した。入籍の手続き自体は呆気なく終わってこれでもう終わったのかと思ったけど、一人暮らしの家に帰る時、新幹線でいつも感じる孤独感のような寂しさが今回はなくて、1人だけどもう1人じゃないという安心感を感じた。あまりに長い期間が過ぎてこれまでたくさんの選択を重ねてきたけれど、あの大学のあの学部を選んで、あのゼミに入って、夏のバーベキューに参加して、告白に答えて全て全て本当にその選択を選んでくれてありがとうねと過去の自分に言ってあげたい。ようやく一緒に住むことができるからこれからもどうぞよろしくね。
 
★食べたもの
・Enry
入籍の記念に。移転後来るのは2回目で久しぶりだったけど、大学生の頃から訪れていた好きなお店なのでチョイス。お店の人が小さなお花を用意してくれていてかわいかったし、店名の由来とかも聞くことができた。安いのに美味しくていつ来ても最高。

 
・かしわめし
福岡から新幹線に乗ることもあと限られてきたかもと思い、初めて駅弁を購入。東筑軒のかしわ飯が有名らしいので探すも軒並み売りきれ。駅の中で数個残っているのを見つけられた。新幹線で駅弁食べるのは記憶にある限り初めて。とても美味しくてびっくりした。冷たくてもおいしいんだね。
 
★行ったところ
九州行き残し削減ツアー。大雨で上陸は無理かと思ったが運よく上陸できた。30号棟は余命を過ぎて永らえているってなんだか人間みたいだなあと思った。当時の暮らしぶりはかなりよかったらしい。
 
神戸でやっていたリパブリックアート。今はもう使われていない倉庫の埃っぽい匂いと冷たい空気感の中で音を作ると言う試みがよい。他にもいくつか作品があったけどもっとその空間を最大限に生かしたものがあるとよかったなあ。

 
Björk orchestral
引越しが近づいてきてライブどころじゃないのだが、、なんて思ってたけどとりあえず予習せねばと数日前から聴き始めると気に入った曲が出てくる出てくる。MVのかっこよさも相まってどんどん心待ちに。当日はど真ん中の6列目でビョークのマイクを持つ指までしっかり見えた。最後に歌ってくれたhyperballadがあまりに素晴らしくてライブが終わってからもずっと聴いている。
 
★買ったもの
・MM6
前一度お店で見かけて気になっていたトート、入籍を言い訳に勢いで買ってしまった。フォルムも生地感もかわいい。大事に使います。
 
★その他
・新居
良いなと思ったお家は契約済みばかりで本当に決まるのか不安だったけど目星をつけた家に奇跡的に契約できた。スペックの高さと家賃が見合ってなさすぎてシリアルキラーが住んでたのかねって言っている。トイレの蓋が自動で開くのが面白くて決め手になった。

まだ27なのに

この1,2年、急激に老いを感じるようになった。
大病や大きな怪我はしていないけれど
小さな不調を感じることが多く、今日は元気!と思える日が少なくなった
鏡を見るたび何も変わっていないようで肌や髪の毛に老化の影が迫っていることに気づかされる
学生のころのようにエネルギー100%とはいかないのは仕方ないけれど、
「まだ27なのになぁ」って思ってしまう。
まだまだ若いねって言われる機会も充分あるのに、
この先何事もなく生きられたらまだ何十年もあるのに、
今これなら将来どうなるんだろうかと不安になる。
大人になると歳を重ねることに素直に喜べなくなるとはよく言われることだけれど、
老いをかんじるようになってから、その老いに見合った年齢に早く近づいてほしいと感じる。
こんな生き急いでいるような考え方はいやだなあ。
親の見た目や健康状態を同じように自分もこれから経験するのかと考えると、
これまで親のこと、気にかけつつもどこか他人事だったんだと痛感させられた

まだ27なのにとタイトルにかいたものの、
去年27歳になったときから次は28歳になるのか、とあまりに考えすぎて
自分の今の年齢を28だとか勘違いしてしまうほど27の年は実感が少なかった
そうは言ってもいよいよ28をむかえる。
今年は若作りも生き急ぎもしないように自分を大切にしたい。
そしていつかかわいいおばあちゃんになる。


おじさんの話

いつも同じ電車で同じ駅で降りるおじさんがいる。
水曜日はいつも一本早い電車に乗るのだけど、おじさんも一本早いのに乗っている。
使い古したクラッチバッグをぶらぶらさせて哀愁漂わせながらノソノソとペンギンみたいに歩く。

駅からまっすぐ、程よい距離感を保ちながら歩いて、突き当たりで左右それぞれ別の方向に進む。
おじさんがどこへ向かっているのかは分からない。

何を話すでもないけれど、おじさんの存在に少し元気を貰っている気がする。

映画の話

伊丹十三は映画のあり方を憂いていた。

それ自体を観るものではなくて、そこから何を読み取るか、何を感じるかという思想の媒介手段になってしまっていると。

これを知り確かにそうかもしれないと感じた。
だから伊丹十三の映画はメッセージ性が欠落しているらしい。

だけどケン・ローチは映画で社会を変えたいと願っているように感じるし、ウディ・アレンは心底楽しげに映画を作っているように思える。
正しい監督というのがないのなら、映画を観る観客が映画そのものを感じる必要があるのかな???正しい観客ってなんだろう。