おじさんの話

いつも同じ電車で同じ駅で降りるおじさんがいる。
水曜日はいつも一本早い電車に乗るのだけど、おじさんも一本早いのに乗っている。
使い古したクラッチバッグをぶらぶらさせて哀愁漂わせながらノソノソとペンギンみたいに歩く。

駅からまっすぐ、程よい距離感を保ちながら歩いて、突き当たりで左右それぞれ別の方向に進む。
おじさんがどこへ向かっているのかは分からない。

何を話すでもないけれど、おじさんの存在に少し元気を貰っている気がする。

映画の話

伊丹十三は映画のあり方を憂いていた。

それ自体を観るものではなくて、そこから何を読み取るか、何を感じるかという思想の媒介手段になってしまっていると。

これを知り確かにそうかもしれないと感じた。
だから伊丹十三の映画はメッセージ性が欠落しているらしい。

だけどケン・ローチは映画で社会を変えたいと願っているように感じるし、ウディ・アレンは心底楽しげに映画を作っているように思える。
正しい監督というのがないのなら、映画を観る観客が映画そのものを感じる必要があるのかな???正しい観客ってなんだろう。