2017-05-29 映画の話 伊丹十三は映画のあり方を憂いていた。それ自体を観るものではなくて、そこから何を読み取るか、何を感じるかという思想の媒介手段になってしまっていると。これを知り確かにそうかもしれないと感じた。だから伊丹十三の映画はメッセージ性が欠落しているらしい。だけどケン・ローチは映画で社会を変えたいと願っているように感じるし、ウディ・アレンは心底楽しげに映画を作っているように思える。正しい監督というのがないのなら、映画を観る観客が映画そのものを感じる必要があるのかな???正しい観客ってなんだろう。